今回紹介するのは、斎藤幸平著『人新世の「資本論」』
2021年新書大賞受賞作であり、大きな注目を浴びた新書です。
とはいえ、どうして今になってマルクスの『資本論』に注目するのか?
それはマルクスが資本主義を徹底的に考え抜いた人だからです。
現代においてゆるぎない地位を獲得した資本主義。
それを徹底的に吟味したマルクスには、現代の危機を乗り越えるヒントがあるはずです。
今回は、本書の5つのポイントに絞って紹介します。
- 帝国的生活様式の限界
- 資本主義へ挑む「脱成長」
- マルクスを読み直す
- 潤沢なコミュニズム
- 脱成長コミュニズムの方向性
『人新世の「資本論」』はどんな本?
2021年本書で『人新世の「資本論」』新書大賞を受賞。
その後も、NHK番組「100分de名著」の内容をもとにした『ゼロからの「資本論」』など、マルクス研究を世間に広めるために精力的に活動されています。
『ゼロからの「資本論」』はより『資本論』に焦点を当てた内容で、『資本論』入門としておすすめです。
人新世とは?
タイトル「人新世」とは、地質学的年代の呼び方です。
ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンらが2000年に提唱し、「人間の活動の痕跡が地表の表面を覆いつくした年代」という意味があります。
地質学的年代とは、地学の授業で習った「古生代/石炭紀」「中生代/ジュラ紀」などの呼び方のことです。
もともと私たちが生きている時代は、「新生代/第四紀/完新世」という区分でした。
しかし、今や地球は人間の活動の痕跡ばかりの「新生代/第四紀/人新世」に突入したと。
ただしここで重要なのは区分の議論ではなく、著者が『人新世の「資本論」』というタイトルに込めた意味です。
人間の活動が地球を覆いつくした時代の新たな『資本論』を打ち立てる。
これこそが著者の狙いであり、本書の主旨です。
『人新世の「資本論」』のポイント
- 帝国的生活様式の限界
- 資本主義へ挑む「脱成長」
- マルクスを読み直す
- 潤沢なコミュニズム
- 脱成長コミュニズムの方向性
帝国的生活様式の限界
危機は複合的に深まっていくのだ。そして、「時限爆弾」に点火してしまえば、ドミノ倒しのように、危機は連鎖反応を引き起こす。それはもはや人間の手には負えないものだ。
斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書
だから、この破局を避けるために、2100年までの平均気温の上昇を産業革命前の気温と比較して1.5℃未満に抑え込むことを科学者たちは求めている
まず本書が強調するのは、人間の環境破壊、地球温暖化による気候変動への私たちの認識の甘さです。
危機的状況に陥らないためには、「産業革命前の気温と比較して1.5℃未満の気温上昇」がリミットだという科学者の見解を著者は指示します。
そして、恐ろしいことに既に1℃上昇してしまっているのが現代です。
にもかかわらず私たちはこの事態にあまり関心を持っていません。
資本による外部化
私たち日本人は、間違いなく地球温暖化に加担してきました。
著者は「帝国的生活様式」という社会学者の用語を紹介します。
グローバル・サウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイル
「グローバル・サウス」とは、かつて「南北問題」に由来する言葉です。
現代においては、かつての北半球/南半球に代表されるような単純な格差ではないことから、先進国を「グローバル・ノース」、搾取される側の途上国を「グローバル・サウス」と呼びます。
つまり、私たちの生活様式は、グローバル・サウスからの労働力、資源を奪うことによって成り立っているということです。
- バングラデシュの廉価な労働力
⇒ ファスト・ファッション - インドネシア・マレーシアの森林破壊による大規模栽培
⇒ 加工食品やファストフードで利用されるパーム油
このような事態は「外部化社会」として批判されています。
これまで先進国は、その特権的生活を維持するために、文字通り外部に犠牲を転嫁してやりくりしてきたわけです。
しかし、土地に資源にも限界があるため、「外部」もまた無限ではありません。
無限ではない以上、外部の収奪と転嫁はいつか限界を迎えます。
脱成長
「科学技術の発展で何とかなるんじゃないか」
そう思われる方も多いかもしれません。
実際、環境の持続可能性と経済をどちらも追求する「グリーン・ニューディール」という考え方が注目を浴びています。
「グリーン・ニューディール」とは、再生可能エネルギーや電気自動車など、環境に良いとされる技術の発展を促進し環境問題を解決しよう、という考え方です。
しかし残念ながら、経済成長と気温上昇1.5℃未満の両立は難しいというのが著者の見解。
例えば、電気自動車が増えるのことは本当にエコでしょうか?
- 原料の採掘 ⇒ 化石燃料
- 生産 ⇒ 化石燃料
- 電力消費量の増大 ⇒ 化石燃料
- 電力を補うための太陽光発電、風力パネルの設置 ⇒ 資源の採掘が必要
こうして見ると、電気自動車の増やすことはそれ自体、とにかく化石燃料や資源が必要があることが分かります。
結局、先進国での「グリーン・ニューディール」は、グローバル・サウスからの収奪と転嫁に過ぎないわけです。
資本主義へ挑む「脱成長」
労働を抜本的に改革し、搾取と支配の階級的対立を乗り越え、自由、平等で、公正かつ持続可能な社会を打ち立てる。これこそが、新世代の脱成長論である。
斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書
経済成長との両立が難しければ、求められるのは「脱成長」ということになります。
そこで、著者はこれまでの「脱成長」論にメスを入れます。
旧世代の脱成長論
資本主義への批判としての脱成長論はこれまでにもありました。
しかし、それらは資本主義を批判しながらも、資本主義の枠内で脱成長を考えていることを著者は指摘します。
資本主義を前提としながらその問題を解決しようと試みたわけです。
- 外部化、転嫁、資源の収奪をやめる
- 企業利益優先から労働者や消費者の幸福へ
- 市場規模を持続可能な水準に縮小
ところが、「これらを実現すること=資本主義をやめること」だと著者は言います。
なぜなら、これらの要素はすべて資本主義の本質だからです。
利潤獲得に駆り立てられた経済成長という資本主義の本質的な特徴をなくそうとしながら、資本主義を維持したいと願うのは、丸い三角形を描くようなものである。
斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書
こうして、従来の脱成長論が「空想主義」であると見抜いた著者は、資本主義に挑む脱成長論を要求します。
必要なのは、中途半端な批判ではなく、もっとラディカルな資本主義批判なのです。
ということで、ようやくここからがマルクスの出番です。
マルクスを読み直す
近年MEGAと呼ばれるプロジェクトによって、新しいマルクス像が明らかになっています。
- 『マルクス・エンゲルス全集』刊行プロジェクト
- マルクスが書き残した全ての網羅を目指す
- 『資本論』の草稿、「研究ノート」など
著者は、この新しいマルクス像こそ、現代の気候変動に立ち向かう武器になると言います。
一般的なマルクス解釈・イメージ
一般的なマルクス像は、『共産党宣言』に代表される思想で、その特徴は「進歩史観」です。
進歩史観とは、歴史は一直線に進歩していくという考え方です。
さらに分解すると、進歩史観は「生産力史上主義」と「ヨーロッパ中心主義」という2つの要素が見えてきます。
- 資本主義のもとで生産力が向上
- 過剰生産の恐慌によって革命が起こり社会主義へ
- 革命のために資本主義の下で生産力向上は必須
- 生産力の高いヨーロッパが歴史のより高い段階に
- 他の地域も西欧と同じように資本主義による近代化が必須
要するに、資本主義による生産力の向上が、「資本主義→社会主義」という進歩のための革命を引き起こすのであり、ヨーロッパが最もそこに近い段階にいるということです。
晩年のマルクス
しかし実は、晩年のマルクスからは「進歩史観」の否定が見出されます。
ここでの思想転換の理由は、マルクスがより広範な分野の研究へと足を踏み出したことです。
自然科学、エコロジー研究
マルクスは、『資本論』第一巻を刊行する前の1865年頃、ドイツの化学者リービッヒの『農業化学』という著作から影響を受け、自然科学、エコロジー研究に目覚めます。
そうした関心からマルクスは、『資本論』において「物質代謝論」を提唱します。
- 物質代謝=人間と自然の循環的な相互作用
- 人間は労働を通して特殊な「自然との物質代謝」を行う
- 資本主義が「人間と自然の物質代謝」を変容させる
重要なのは3点目の、資本主義による「人間と自然の物質代謝」の変容です。
資本にとって、短期間で最大価値を生み出すためには、生産力向上が第一目的となります。
例えば、労働による物質代謝の最も分かりやすい例は農業です。
資本主義の下での農業は、収穫量の最大化を目指し、自然のサイクルを無視して農作を行い土地を使い潰す。
生産力向上のためには、このような自然の力や資源の収奪が正当化され、資本の都合で「人間と自然の物質代謝」は変えられてしまうのです。
ポイントは、マルクスが環境破壊の観点から、資本主義による生産力向上を否定的に捉えていること。
このあたりからマルクスは「生産力史上主義」を捨て去り、必然的に「ヨーロッパ中心主義」の思想も後退していくことになるのです。
非西欧や資本主義以前の共同体社会
さらに晩年のマルクスは、非西欧や資本主義以前の共同体の研究に熱中します。
中でも著者が注目するのは、「マルク共同体」(ゲルマン民族社会)の研究。
- 土地の共同所有
- 共同体外との土地、生産物の売買禁止
- くじ引きによる定期的な土地の入替
特筆すべきは、2つ目と3つ目です。
- 儲けるための過剰生産の抑制
- 土壌養分が維持され、持続可能な農業
- 肥沃な土地と恩恵に不平等が生じない
- 土地を好き勝手に濫用できない
これら2つの決まりは、実は相互に密接な関係性があることに気づきます。
平等が持続可能に繋がり、持続可能であることは平等に繋がるわけです。
マルクスは同様に、「持続可能性」と「社会的平等」の密接な関係性を見出し、「マルク共同体」を「経済成長をしない循環型の定常型経済」と呼びます。
これこそが、マルクスが晩年に構想した「脱成長コミュニズム」の姿です。
著者は、マルクスの「脱成長コミュニズム」の重要性を改めて強調します。
「人新世」の危機に立ち向かうため、最晩年のマルクスの資本主義批判の洞察をより発展させ、未完の『資本論』を「脱成長コミュニズム」の理論化として引き継ぐような、大胆な新解釈に今こそ挑まなくてはならないのだ。
斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書
潤沢なコミュニズム
著者が希望を見出す「経済成長をしない循環型の定常型経済」
しかし、「経済成長をしない」ことには、やはり不安を感じてしまいます。
私たちは貧しさを許容する必要があるのか?
この点に関しての著者の見解は意外なものです。
むしろ、こう問わないといけない。99%の私たちにとって、欠乏をもたらしているのは、資本主義なのではないか、と。資本主義が発展すればするほど、私たちは貧しくなるのではないか、と。
斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書
資本主義は貧しさを生み出す
「資本主義が発展すればするほど、私たちは貧しくなるのではないか」
これはどういうことでしょうか?
この点を理解するには、資本主義の2つの特性を押さえる必要があります。
- 潤沢な〈コモン〉の解体
- 人工的希少性の増大
潤沢な〈コモン〉の解体
本書では、〈コモン〉という言葉が繰り返し登場します。
- 社会的に人々に共有され、管理されるべき富
- 水や電力、住居、医療、教育などを市民が民主主義的に管理する
〈コモン〉とは、市場経済によるすべての商品化でもなく、社会主義によるすべての国有化でもない、第三の道として提唱されている概念です。
マルクスは、資本主義がかつては潤沢だった〈コモン〉を解体してきたと指摘します。
なぜなら〈コモン〉は資本主義とは相容れない存在だからです。
例えば、共同体が共有地を利用しながら、自給自足の生活をしているとします。
するとわざわざ食料品や生活必需品を市場で買う必要がありません。
だからイングランドでは、かつて共同管理されていた農地などから農民を強制的に追い出す「囲い込み」が行われました。
土地だけではなく河川の水なども挙げられています。
資本は、もともと潤沢に存在していたものを、次々と解体し商品にしてきたのです。
「価値」と「使用価値」
マルクスはこういった〈コモン〉の解体が、「価値」と「使用価値」の対立を生み出すと言いました。
- 貨幣で測られる商品の価値
- どのくらいの値段がつくか
- 人々の欲求を満たす性質
- 人のとっての必要性
例えば、水はもともと豊富にあり、喉の渇きを潤す「使用価値」があります。
しかし、水を「資本」として「価値」を生み出そうとするとどうなるでしょうか?
- 水道料金を払えない貧困世帯への給水の停止
- 供給量を減らし、価格をつり上げる
- 人件費、管理費を削減し水質が悪化する
- ペットボトルに詰めて商品化される
極論もありますが、このような方向に進む可能性は否定できません。
これらの動きにより、水の「価値」は増大していきます。
しかし、一方で人々の生活の質が低下し、水の「使用価値」が毀損される。
これがマルクスが、「価値」と「使用価値」の対立と呼ぶものです。
人工的希少性の増大
「使用価値」は大きく変わらない中で、「価値」を増大させる方法は、希少性を高めることです。
だから資本主義は、もともと潤沢だった〈コモン〉を解体し、希少なものとすることで商品化を進めていったわけです。
あらゆるものが商品になれば、以前よりもずっと多くのお金が必要になります。
ということは、多くの人にとって貨幣の必要性が増していく、つまり希少性が高まるわけです。
すると私たちは必死に長時間労働せざるを得ません。
マルクスは、資本主義の労働を「奴隷制」と呼んでいました。
それどころか、資本主義の労働は、古代の奴隷よりもひどい状況かもしれないと。
古代の奴隷には生存保障があった。替えの奴隷を見つけるのも大変だったため、大事にされた。それに対して、資本主義のものでの労働者たちの代わりはいくらでもいる。労働者は、首になって、仕事が見つからなければ、究極的には飢え死にしてしまう。
斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書
ここで重要なのは、多くのものが商品化されたせいで、人々の暮らしは苦しくなってしまったということです。
結局のところ、資本主義は「恒久的に欠乏と希少性を生み出すシステム」なのです。
これが、「資本主義が発展すればするほど、私たちは貧しくなるのではないか」という問いへの答えでしょう。
資本主義の天敵
それでは資本主義に対抗するにはどうすれば良いのか?
それは潤沢さを取り戻すことです。
例えば、今のところ空気には値段がついていません。
それはあまりにも豊富で、希少性がないからです。
だからこそ著者は、〈コモン〉の再建により潤沢さを取り戻すことを説きます。
水や電力、住居、医療、教育などを「国有化」ではなく「市民営化」することです。
また、生産手段を〈コモン〉にする「ワーカーズ・コープ」(労働者協同組合)も注目すべき取り組みとして紹介されます。
- 資本家や株主がいない、労働者自身よる「社会的所有」
- 共同出資、生産手段の共同所有、共同管理
こうした取り組みの結果、商品化される領域が減りGDPは減少するでしょう。
しかし、それは決して貧しさではありません。
私たちは、労働への恒常的プレッシャーから解放され、自由時間を手に入れることができます。
消費主義的ではない活動への余地が生まれ、スポーツ、読書などの趣味や、友人や家族との時間を大切することができるようになります。
これを「豊かさ」と言わずして何と言うのでしょうか?
まとめー脱成長コミュニズムの方向性
ここまでの議論のまとめとして、著者は「脱成長コミュニズム」の5つの柱を提示します。
- 使用価値経済への転換
- 労働時間の短縮
- 画一的な分業の廃止
- 生産過程の民主化
- エッセンシャル・ワークの重視
特に、5つ目の「エッセンシャル・ワークの重視」という観点は興味深いところです。
介護や看護といったケア労働は、「価値」に重きを置いた社会だと、生産性が悪いとされてしまいます。
というのも、ケア労働は感情労働とも言われ、機械によるオートメーション化が難しいからです。
しかし、深刻な少子高齢化が進む日本において、ケア労働はこれからますますその必要性、つまり「使用価値」が増していくことでしょう。
使用価値経済への転換から連なる5つの柱は、気候危機に対してだけではなく、私たちの今の生活に対しても有効な処方箋となるはずです。
感想:マーケティングは不要なのか?
現在高給をとっている職業として、マーケティングや広告、コンサルティング、そして金融業や保険業などがあるが、こうした仕事は重要そうに見えるものの、実は社会の再生産そのものには、ほとんど役に立っていない。
斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書
著者は、「エッセンシャル・ワークの重視」と併せて、これらの仕事については「プルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」であるという見解を指示します。
ここはマーケティングに携わっている身としては、ぜひ反論したいところ。
しかし残念ながら「脱成長」を前提とするならば、マーケティング不要論を覆すのは難しいと言わざるを得ません。
アメリカマーケティング協会(AMA)の最新(2017年改定)のマーケティングの定義を参照してみます。
Marketing is the activity, set of institutions, and processes for creating, communicating, delivering, and exchanging offerings that have value for customers, clients, partners, and society at large. (Approved 2017)
マーケティングとは、顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・流通・交換するための活動、一連の制度、過程である。
What Is Marketing?-Definitions of Marketing-AMA
様々な要素が詰め込まれていますが、ここでのポイントは「顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある」という部分です。
この「価値」は、「使用価値」かそれとも貨幣で測られる「価値」か?
実態に即して考えるのであれば、貨幣で測られる「価値」です。
なぜなら現代において、「使用価値」での他社差別化は極めて難しい。
「使用価値」が横並びの状態で、競合他社に差をつけるには、どうにかして「価値」を上げるしかないわけです。
もちろん、商品開発などの現場において「使用価値」向上を志す人はたくさんいるでしょう。
しかし、残念ながらマーケティングの大部分は、貨幣で測られる「価値」向上のためのテクニックです。
このように考えれば、(考えるまでもなかったかもしれませんが)「脱成長コミュニズム」におけるマーケティング不要論は、当たり前の帰結ということが分かります。
終わりに
『人新世の「資本論」』の内容をざっくりと紹介してきました。
本書の売上は、現在50万部を突破するなど大きな注目を浴びています。
それだけ多くの人が、資本主義社会への疑問を感じているということです。
しかし、一方で『資本論』や本書の主張を曲解しないよう努めることも重要です。
たしかに資本主義には問題が多い。
しかしだからと言って、極端な考え方に捉われないよう、正しくその思想を摂取しなければいけません。
よければ実際に手に取ってみてください。