【要約/感想】『言語の本質』(今井むつみ/秋田喜美)~なぜ人類だけが言語を持つのか~

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言語の本質 今井むつみ 秋田喜美

今回紹介するのは、中公新書『言語の本質』です。

1年間に刊行された新書から「最高の一冊」を選ぶ「新書大賞2024」の1位に輝いた本です。

初めて見たときは、結構挑戦的なタイトルだな~と思いました。

これまで数々の学者が挑んできた「言語」というテーマの本質を語るというんですから、相当な覚悟が必要だったのではないでしょうか。

実際読んでみると、タイトルに違わぬ完成度と満足感を得られる1冊です。

今回は、そんな本書のポイントを4つ紹介します。

POINT
  • オノマトペは言語か?
  • 記号接地問題
  • ブートストラッピング・サイクル
  • アブダクション推論

ぜひ最後までお付き合いくださいませ。

目次

『言語の本質』はどんな本か?

『言語の本質』は、2名の共著です。

今井むつみ 
慶應義塾大学環境情報学部教授
認知科学、特に認知心理学、発達心理学、言語心理学を専門として研究

秋田喜美
名古屋大学院人文学研究科准教授
専門は言語学であり、特にオノマトペ・擬音語・擬態語、音象徴、類像性などを研究

お二人とも言語分野の専門家ですね。

そんな専門家のお二人が、本書ではオノマトペに焦点を当てます。

そして、オノマトペの性質を手がかりに「記号接地問題」「言語習得」「言語進化」を解き明かし、さらに「言語の本質」に迫っていきます。

オノマトペという身近なテーマから言語の本質へと至る、1つの壮大な物語のような印象を受ける本でした。

それでは早速、ポイントの1つ目に入っていきましょう。

オノマトペは言語か?

私たちがよく用いるオノマトペ

オノマトペは、感覚イメージを言語で写し取る「アイコン性」を持っている。

というのが本書の出発点です。

アイコン性とは、表すものと表されるもの類似性があることです。

絵文字や顔文字をイメージすると分かりやすいでしょう。

例えば、顔文字では少し焦っている様子を (^▽^;) で表すことができます。

これは、「焦っている」という状態を視覚的に写し取り、表現したものです。

オノマトペであれば、「焦っている」という様子を、「ギクッ」という表現にすることがあります。

他にも例えば、「サラサラ」は触覚、「ピカピカ」は視覚イメージを写し取っているオノマトペです。

さて、オノマトペとは言語なのでしょうか?

例えば、赤ちゃんの泣き声そのものを「言語」とするには、何か物足りない印象を受けますよね。

しかし、赤ちゃんの鳴き声を写し取ったオノマトペ「ギャーギャー」はどうでしょうか。

このあたりの感覚は人によって異なる微妙なところです。

そして、まさにその点が論じられているのが、「第3章 オノマトペは言語か」です。

言語の大原則

「第3章 オノマトペは言語か」では、「言語の大原則」が登場します。

「言語の大原則」は、アメリカの言語学者チャールズ・F・ホケットが定めたもので、言語を規定する原則として広く用いられているようです。

本書は、その「言語の大原則」に経済性を足した10個のキーワードから、「オノマトペは言語か」という問いに答えていきます。

言語の大原則
  • コミュニケーション機能
  • 意味性:特定の意味に結びつく
  • 超越性:場や時間に縛られない
  • 継承性:子孫へ伝達されるもの
  • 習得可能性:誰でも習得が可能
  • 生産性:新たな発話を作り出せる
  • 経済性:効率的な伝達が可能
  • 離散性:表現の仕方が連続的ではない
        アナログではなくデジタル
  • 恣意性:形式と意味に必然性がない
  • 二重性:音1つ1つは意味を持たない
        だがその連なりは意味を持つ

この原則に当てはめた際、例えば赤ちゃんの泣き声は、特定の意味を持たないため、意味性がありません。

また、鳴き声というのは、誰に教わるでもなくできるものなので、継承性という観点でも当てはまりません。

それではオノマトペはどうでしょう?

実はオノマトペは、最後の3つ「離散性」「恣意性」「二重性」に当てはまるかどうかが、明確ではありません。

だからこそ、言語学でオノマトペは、正式な言語ではないという主張が強いようです。

しかし、「そうではない」というのが本書の主張です。

ここは非常に興味深い部分なので、ぜひ実際に読んでみて欲しいのですが、一例として恣意性に対する反論を紹介していきます。

言語の恣意性

恣意性とは、言語哲学者フェルディナン・ド・ソシュールが、提唱した概念です。

恣意性とは、実は別様でもあり得たけれども、偶然そのようになっているということです。

生物としての「犬」を表す際、日本語では「イヌ」、英語では「dog」など、各言語での表現される犬の音形に特徴はありません。

ですから、「犬」が特定の音で表現される必然性がない=恣意性があるということです。

一方、オノマトペは例えば、犬の鳴き声を日本語は「ワンワン」、英語は「バウワウ(bowwow)」と表すなど、各言語の似通った特徴があります。

なぜなら、オノマトペは犬の鳴き声を写し取るため、「ジャブラジャブラ」などあまりにも犬の鳴き声からかけ離れたような音にはならないからです。

このことによって、一般的にオノマトペには恣意性ではなく、必然性があると解されるようです。

しかしながら、そもそも「ワンワン」と「バウワウ」という異なるものが生まれている時点で、必ずしも必然性はないというのが本書の主張です。

必然性があるのであれば、極端な話全世界の言語は「ワンワン」なり、「バウワウ」なりに統一されていくはずだからです。

記号接地問題

「記号接地問題」というのは、言語学の概念ではなく、AI分野で大きな問題となった議論です。

認知科学者のスティーブン・ハルナッドは、人間が機械に記号を与えて問題解決をさせようとしたAIの記号アプローチを批判し、記号を意味を記号の意味を記述しつくすことは不可能であると指摘した。言語という記号体系が意味を持つためには、基本的な一群のことばの意味はどこかで感覚と接地していなければならない

今井むつみ/秋田喜美『言語の本質』中公新書

ざっくりいえば、身体的な経験なしには、何も知ることができないのではないかという指摘です。

例えば、私たちはトマトを、実際に見たり、食べたりすることで、視覚、嗅覚、味覚的情報を得ており、トマトと言われて、それらの感覚をイメージすることができます。

一方で、AI研究の分野では、このように身体的な経験を伴わず、「トマト」という記号に「甘い」「赤い」といった記号を結び付けて、「トマト」を理解させようとしてきました。

これがつまり、記号が感覚情報と接地していないという意味です。

現在注目を浴びているchatGPTは、記号接地問題を乗り越えたともされています。

しかし、少なくとも人間は記号接地せずには生きていけません。

英語を単語の意味を1つも知らない人が、英英辞典をいくら暗記しても、英語を習得したとはいえません。

自分の知っている母語、つまり既存の知識と、英語(新規の知識)が全く繋がっておらず、意味を持たない知識が頭の中に増えただけだからです。

言葉の意味を知らない状態で生まれてくる子供たちが、まず母語を覚えるということは、第二言語を習得するよりもはるかに難しい過程です。

なぜなら、私たち日本人は英和辞典を使えば、既存の知識と英語を紐づけることができます。

しかし、生まれたての子どもたちは、土台とするべき言語がありません。

そこで、土台となるのは生まれつき備わっている感覚なのです。

感覚という既存の知識と、言葉(新しい知識)が紐づけることで、初めて意味のある言語を習得できるようになるのです。

そして、感覚と言葉を紐づけるにあたり、非常に大きな役割を果たすのが、感覚イメージを分かりやすく言語で写し取るオノマトペなのです。

ブートストラッピング・サイクル

ブートストラッピング・サイクルによる抽象的概念の獲得

しかし私たちは、オノマトペだけを習得しても、複雑な構造を持つ言語体系には到達できません。

本書では、私たちが複雑な言語体系を習得する際の、「ブートストラッピング・サイクル」という概念が説明されています。

「ブートストラッピング・サイクル」をざっくりいえば、とっかかりさえあれば、その後は自律的な学習サイクルが周るということです。

例えば、子どもたちが名詞を覚える際は、物の形状に注目しています。

似たような色の物よりも、似た形の物を、同じ名詞として認識する傾向があるという実験結果があります。

また、動詞に関しても、動作に用いられる物の類似性に着目し、同じ動詞が適用できると判断しているようです。

これは、単なる1対1関係の暗記ではありません。

いちいち全ての猫を指して「これは猫だよ」と教えてあげなくても、猫っぽい生き物を「猫」であると判断することができます。

AI分野においても、ディープラーニングという機会学習手法により、猫の画像を大量に学習させることで、画像における猫の認識です。

しかし、そもそも子どもたちはそんなに大量の猫を見る必要はありません。

覚えた言葉を、未知の情報に対しても、何らかの要素を手がかりに一般化する能力が高いからです。

つまり、子どもたちは、最初の感覚・知覚と接地した言葉さえあれば、そこから学習し知識を創っていくことができるのです。

これが、「ブートストラッピング・サイクル」という概念です。

アブダクション推論

こういった言語の習得に不可欠なのが、アブダクション推論です。

本書では、論理学における推論として挙げられる「演繹」と「帰納」に加え、アブダクション推論という言葉が登場します。

アブダクション推論は、観察データを説明するための、仮説を形成する推論である。推論の過程において、直接には観察不可能な何かを仮定し、直接観察したものと違う種類の何かを推論する。

今井むつみ/秋田喜美『言語の本質』中公新書

これだけでは分かりににくいので、アブダクション推論の例を本書から引用します。

①この袋の豆はすべて白い(規則)
②これらの豆は白い(結果)
③ゆえに、これらの豆はこの袋から取り出した豆である(結果の由来を導出)

今井むつみ/秋田喜美『言語の本質』中公新書

よくよく考えるとこれは100%正しいわけではありません。

これらの豆は、袋ではなく、瓶から取り出した白い豆かもしれません。

しかし、私たちはこのような推論、すなわち仮説立てを頻繁に行います。

アブダクション推論は、知識の拡大において非常に重要な方法です。

例えば、演繹理論は新しい知識を与えてくれません。

有名な演繹推論として以下のようなものがあります。

①人間は必ず死ぬ
②ソクラテスは人間である
③ゆえに、ソクラテスは必ず死ぬ

しかし、これは①で既に分かっていること以上の知識は獲得できません。

また、帰納推論についても、その前段階で、まずアブダクション推論が用いられる場合が多いという指摘があります。

帰納推論とは、観察した1つずつ事例に共通規則を見出し、それを一般化することです。

ただ、そもそも実験をする、データを集めるには、仮説が必要不可欠です。

つまり、帰納推論を立証するためには、アブダクション推論による仮説が前提としてなければなりません。

さらに、こうしたアブダクション推論は、子どもたちの言語習得において欠かせません。

例えば、違う種類の猫を見た際に、それが今まで見てきた「猫」と似ているからといって、それが「猫」であるかは分かりません。

子どもの言語習得

しかし、これまで観察した猫の耳や4本の足、尻尾などを「猫」の形として一般化し、未知の動物でも同様の特徴を見出したら「猫」として当てはめようとします。

もちろん、時には間違いを犯しますが、指摘される度に修正し続けることで、正しい言語表現を習得できるのです。

なぜ人だけが言語を習得できるのか?

なぜ人だけが体系的な言語を習得し、抽象的な概念を扱えるようになったのか

これは様々な分野で探求されたきた大きな謎です。

著者は、この謎に対してアブダクション推論を答えとして提示します。

人以外の動物にとって、アブダクション推論は非常に難しいようです。

つまり、こうした言語学習に代表されるような、過剰ともいえる一般化こそ、人が他の動物と一線を画す存在になった要因だというのです。

終わりに

人だけが可能であるアブダクション推論は、論理的に正しいとは限りません。

しかし、「限られた情報から効率的に」新しい知識を習得する、妥当な問題解決や予測が可能となります。

人が新しい環境に適応するにあたり、他民族、過酷な自然環境など、不確実かつ経験不可能な対象に、早急に対処する必要があります。

そのような必要性に迫まられた際、役に立つのは、厳密な論理的思考ではなく、不確実でもそれなりの予測をして行動につなげることです。

つまり、ゆっくりと100点を出すことではなく、素早く70点くらいを取るイメージです。

現代社会において、特にビジネスシーンでは、論理的思考力がやたらと持ち上げられています。

しかし、人類の繁栄は実は非論理的推論によるものであるとすれば、非論理的な考え方を退けることは、人類にとって大きな損失なのかもしれません。

本書『言語の本質』は、オノマトペから言語の本質への物語にとどまらず、「種としての人の繁栄」というテーマにまで踏み込んだ、非常に示唆に富んだものでした。

今回紹介したのは、本書の一部に過ぎません。

ぜひ実際に読んでみてください。

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この記事を書いた人

大学時代は社会学専攻。
現在は、事業会社のWEB/メールマーケティングに携わる。


月5~10冊ほど読書します。
好きなジャンルは哲学、社会科学、マーケティング、データサイエンスなどで、知的好奇心に突き動かされジャンル問わず読みます。

土曜の朝の「さて今日は何をしよう」というぼんやりした時間が1週間で1番好きです。

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