『人生の短さについて』は、古代ローマの哲学者セネカの著作。
約2000年にわたって読み継がれてきたこの名著には、示唆に富んだアドバイスが詰まっています。
本書を読むと分かるのは、人々が悩んでいること、陥っていることは古今東西変わらないということ。
そればかりか、セネカが批判した生き方は、むしろ現代において、より一層当たり前になっているとすら感じます。
今回は『人生の短さについて』の名言を通して、その内容について紹介します。
セネカ『人生の短さについて』はどんな本?
セネカは、哲学だけではなく、ローマ帝国の政治にも大きな影響を及ぼした人物。
第5代ローマ皇帝であるネロの幼少期の家庭教師というのも有名な話です。
セネカの哲学的思想の特徴は、ストア派の影響を強く受けていることです。
ストア派
ストア派とは、古代ギリシャのゼノンによって創設された哲学学派の総称。
ストア派を貫く思想は、「自然的なものに価値がある」という点です。
そのため、財産や地位など人為的、世俗的なものを軽視します。
また、快楽や欲望、恐怖、苦痛といった情念は、非自然的なものとして否定し、徳を持った生き方を推奨します。
ちなみに、「ストイック」という言葉は、快楽や欲望を否定するストア派に由来しています。
古代ギリシャで生まれたストア派は、ローマにも受け継がれ、セネカにも大きな影響を及ぼしました。
セネカと同じく、今でも読み継がれる『自省録』を記したマルクス・アウレリウスも、古代ローマ時代のストア派の哲学者です。
『人生の短さについて』の背景
哲学といえば、何やら難しい理論をこねくり回すイメージを持たれる方もいるかもしれません。
しかし、ストア派は実践的傾向がとても強い哲学です。
実は『人生の短さについて』は、セネカがパウリヌスという知人に向けて綴った手紙の内容です。
当時パウリヌスは、食料管理官という多忙を極める仕事についていましたが、セネカが早くその仕事を辞めるよう勧めるのです。
現代でいえば、ブラック企業に勤める知人を案じて長文LINEを送るみたいな感覚ですね。
だからこそ、多くの人にとって非常にとっつきやすい。
自分事として読むことができるのです。
『人生の短さについて』の名言5選
ここからは、『人生の短さについて』で語られる5つの名言ピックアップし、その主旨を解説していきます。
名言① 人生は短くない
われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが人生を浪費しているのだ。
セネカ(中澤務 訳)『人生の短さについて 他二篇』光文社古典新訳文庫
タイトルともなっている「人生の短さについて」の、セネカの見解がよく表れている部分ですね。
セネカは、真に生きているのではなく、ただ単に時間が過ぎているだけという生き方を、次々と挙げていきます。
- 無益な仕事に懸命に汗を流す
- 酒びたり、怠惰にふける
- 他人の意見にふりまわされ続けて、疲れ果てる
- 感謝もされないのに奴隷のように奉仕する
そして、セネカいわく、人生が短いという問題は客観的短さではなく、このように日々を過ごしている自分たちの行動故に生じる問題です。
古代ローマから2000年を経た現代、私たちの寿命は飛躍的に伸び、「人生100年時代」とも言われます。
しかし、セネカの指摘を踏まえると、どんなに人間の寿命が伸びようが、「人生は短い」と嘆く人は減ることはないように思えます。
名言② 私たちは時間の浪費家
ひとは、自分の財産の管理をするときには倹約家だ。ところが、時間を使うときになると、とたんに浪費家に変貌してしまう―けちであることをほめてもらえるのは、唯一このときだけだというのに。
セネカ(中澤務 訳)『人生の短さについて 他二篇』光文社古典新訳文庫
セネカは、土地や金に対する人の意識が、時間には適用されないことを嘆きます。
- 自分の土地に他人が侵入する
- お金をせびられたので分け与える
- 自分の人生に他人が干渉する
- 自分の時間を他人のために使う
たしかに考えてみれば、土地やお金と同じく「時間」は重要な資産です。
しかし後者は、前者ほどの不法行為とは思われず、場合によっては推奨されることすらあります。
その結果、多くの人は自分の人生にも関わらず、他人に踏み荒らされ、他人に時間を平気で与えてしまう。
故に、人生は短くなってしまうのだとセネカは指摘しています。
私たちは、お金についてと同様、時間についても財布の紐を堅くしなければならないのです。
名言③ 多忙を極める人間について
みたまえ。彼らが、どれだけ長い間、銭勘定をしているか。どれだけ長い間、悪だくみをしているか。どれほど長い間、心配ごとをしているか。どれほど長い間、ご機嫌とりをしているか。どれほど長い間、ご機嫌とりをされているか。どれだけ長い間、裁判で訴えたり、訴えられたりしているか。どれほど長い間宴会をしているか―いまや、宴会に出ることが仕事になってしまっているではないか。
セネカ(中澤務 訳)『人生の短さについて 他二篇』光文社古典新訳文庫
ここでセネカが例に挙げる人たちは、現代社会の人々と驚くほど酷似しています。
実は、人間が考えること、やっていることは、2000年でほとんど変わっていないということが分かりますね。
セネカは、このように多忙を極める人間は「生きることから最も離れている」と痛烈な批判を加えます。
特に、名誉や地位を手に入れ多忙になった人は、より多くの他人から時間を奪い去られてしまい、自分のための時間は残りわずかになるであろうと言います。
ただただ他人に振り回され続けた人生は、自分の人生と言えるのかどうか。
現代に通じる示唆を与えてくれる指摘ですね。
名言④ 未来より過去
われわれが過ごしている現在は短く、過ごすであろう未来は不確かであり、過ごしてきた過去は確かである。
セネカ(中澤務 訳)『人生の短さについて 他二篇』光文社古典新訳文庫
セネカの「未来」「過去」「現在」に対する感覚は独特です。
過去 > 現在 > 未来
セネカは、未来を見据えて計画することを批判します。
計画することはいわば先延ばしであり、先延ばしは「未来を担保にして、今このときを奪い取る」として「人生の最大の損失」と言い切るのです。
この主張の念頭にあるのは、未来がとても不確かであるということです。
一方で、過去は確かだからこそ「神聖で特別なもの」だと言います。
これは現代に生きる私たちからすると、新鮮な考え方です。
一般的な自己啓発では、過去よりも未来に価値を置く風潮が強い。
しかしセネカは、「過去」について次のように言及し、その価値を説きます。
- 運命の支配が及ばない
- 欠乏、恐怖、病気の襲撃にもさらされない
- かき乱され、奪い去られることもない
多忙な人は過去を振り返る暇がありません。
一方で、安らかで静かな心の持ち主は、「過去」という確かな時間を意のままに眺め、振り返ることができます。
「自分の人生を生きる」には、誰にも奪い取られず永遠に所有できる「過去」こそ最も価値があるとセネカは考えていたわけですね。
名言⑤ 互いの時間を奪い合い不幸になる
ひとは、互いの時間を奪い合い、互いの平穏を破り合い、互いを不幸にしている。そんなことをしているうちは、人生には、なんの実りも、なんの喜びも、なんの心の進歩もない。
セネカ(中澤務 訳)『人生の短さについて 他二篇』光文社古典新訳文庫
これまで紹介してきた名言に比べると、ややパンチは薄いかもしれません。
しかし、『人生の短さについて』で一番重要な部分は、ここにあると感じます。
セネカは、「他人ではなく自分のために時間を使う」ことを繰り返し説きます。
ただ、その主張のみを取り出すならば、「自分本意な人間」を肯定する言説と誤解される可能性がある。
しかし、実は各自が「自分のために時間を使わない」ことは、互いに時間を奪い合い、不幸の連鎖を引き起こしているわけです。
裏を返せば、多くの人が自分の時間を取り戻すことは、人々が平穏と幸福を取り戻すことに繋がる。
セネカが目指しているものがここにあるような気がします。
ストア派セネカの現代的意義
セネカの考え方は、現代においてどのような意義を持っているでしょうか?
哲学史の名著『西洋哲学史』で、シュヴェーグラーがストア派の功績について、次のように言及しています。
ストア学派の功績は、社会的衰滅の時代に道徳的理念を力強く堅持したこと、および倫理学から政治学、民族的要素を分離して、最初にそれを政治から区別された独自の学問としてうちたてたことにある。
シュヴェーグラー(谷川徹三・松村一人 訳)『西洋哲学史 上巻』岩波文庫
特に前者は、現代日本におけるストア派思想の意義を考えるにあたり、とても重要な示唆を含んでいると感じます。
おそらく日本は、この先数十年にわたる緩やかな衰退を免れないところまできてしまった。
しかし、そんな時代だからこそ、一人ひとりが凋落に呑まれず、道徳的に生きることの重要性が増してくるのではないでしょうか。
私たちが平穏に過ごせる社会を持続するために、「社会的衰滅の時代に道徳的理念を力強く堅持した」ストア派の思想から学べることがきっとあるはずです。
そのような意味でも、古代ローマストア派の代表格セネカの『人生の短さについて』は、私たちにとって必読の書といえるでしょう。