今回紹介するのは、山口周著『知的戦闘力を高める 独学の技法』です。
社会人にとって勉強といえば、プログラミングやマーケティング、ロジカルシンキングなど、ビジネススキル的なものが思い浮かびます。
しかし、本書は「教養ーリベラルアーツ」の重要性を指摘します。
教養といえばビジネスでは侮られがちな要素ですが、教養こそ「知的戦闘力」だと説く著者。
さらに、長期的目線での目的から逆算した学びではなく、短期的な好奇心に基づいた勉強を推奨する点もとても新鮮です。
数ある独学関連の中でも、とても腑に落ちる1冊でした。
『独学の技法』の著者は?
著者の山口周は、電通やいわゆる外資系コンサルを経験した、バリバリのビジネスマン。
しかし、大学時代の専攻は意外にも文学部哲学科なんですね。
哲学というバックグラウンドで醸成された豊富な知識と、ビジネスの第一線での経験を武器に、精力的な執筆活動を行っています。
『武器になる哲学』や『外資系コンサルの知的生産術』、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』など、ジャンルも多岐に渡ります。
ちなみに『武器になる哲学』は、哲学に少しでも興味があればおすすめ。
哲学とビジネスってあまり親和性はなさそうですが、見事に哲学をビジネスに落とし込んでいます。
『独学の技法』はどんな本?
本書は、独学をシステムとして捉え、次の4つに体系化しています。
- 戦略 ー 何を学ぶか?
- インプット ー どのように学ぶか?
- 抽象化・構造化 ー いかに使える知識にするか?
- ストック ー どう取り出せるようにするか?
4つの独学システムを簡略化してまとめると上記のようになります。
「戦略」「インプット」は、「何をどのように」学ぶかに関わることです。
そして学んだことを、知的戦闘力へ昇華するための方法が「抽象化・構造化」です。
最後の「ストック」は、武器として蓄えた知識を、必要なときにすぐに取り出すための整理の技術です。
著者は、この「独学のシステム」を、過去の偉人の事例や自身の豊富な経験を交えながら説明してくれるのですが、それがまた分かりやすいです。
さらに最後には、教養として学ぶべき11ジャンルとその理由、各ジャンルごとにおすすめ教養書を9冊ずつ、合計99冊紹介してくれるという、至れり尽くせりの内容。
その99冊に関しては、ぜひご自身で確かめてみてください。
教養を学ぶ理由とは?
本書の特徴として、一般的に周辺知識として捉えられがちな「教養」が、実は生きていく上で何よりも有効な武器だという主張です。
著者は、その理由として次の理由を挙げています。
- イノベーションを起こす武器となる
- キャリアを守る武器となる
- コミュニケーションの武器となる
- 領域横断の武器となる
- 世界を変える武器となる
私としては、特に4つ目の視点が非常に面白い。
著者は、「リベラルアーツは、専門分化する科学知識をつないでいくもの」と考えます。
実際に哲学などは、すべての分野を一歩引いて眺める視点が養えるという意味で、まさにそのような役割があると感じます。
この「科学知識をつないでいくもの」ということが重要で、教養を身につけた人は、個々の専門領域を越境して動けるようになれるとのこと。
特にビジネスの場では、リーダーになると「専門外の領域」も含めたマネジメントが必要になります。
それはつまり慣れ親しんだ専門分野から離れて「非専門家」になるということです。
そして、「専門外の領域」についてもっとも責任を取る役職こそ社長に他なりません。
教養とは、専門領域を飛び越えて活躍するための「知的の足腰」であり、ビジネスにおいても重要なスキルなのです。
ビジネスの成功だけではない
本書の文脈では、ビジネスでの成功に焦点を置いて「教養」の重要性が語られます。
それでは、「別に自分はビジネスで成功したいと思わない」という人にとって、教養はどうでも良いものなのか?
結論から言えば、「そうではない」というのが私の意見です。
なぜなら、私たちの仕事以外の場においても、「専門外の領域」は溢れているからです。
むしろ、日常生活において専門領域に触れることの方が珍しい。
例えば、日々見聞きするニュースやSNSの情報発信、買い物などの消費行動において、受け側である自分が、相手よりも専門家であることは非常に少ないはずです。
だとすれば、専門領域を飛び越えられる「知的な足腰」は、身を守るための武器となります。
デマに騙されたり、変な商品を買わされたり、といった情報の格差を突いてくるような「専門家」から身を守る盾です。
領域を横断して、必ずしも該博な知識がない問題についても、全体性の観点に立って考えるべきことを考え、言うべきことを言うための武器として、リベラルアーツは必須のものと言えます。
山口 周『知的戦闘力を高める 独学の技法』ダイヤモンド社
教養とは、仕事においては長く使える「矛」であり、日常生活においては堅固な「盾」となる
それが私たちが教養を学ぶべき理由ではないでしょうか。
無目的な勉強の価値
一般的に「勉強」とは目的を設定して行うことが推奨されます。
たとえば、プログラミングを勉強する際には、「何を作りたいか決めてから勉強するべき」と言われます。
しかし本書は、そういった常識に反して、目的なきインプットの重要性を説きます。
いますぐ役に立つかはわからないけれども、この本には何かある、この本はなんだか知らないけどスゴイ、という感覚が大事だということです。
山口 周『知的戦闘力を高める 独学の技法』ダイヤモンド社
ここでは文脈上「本」という言葉が使われていますが、「本」ではなく「分野」とか「知識」に置き換えても良いでしょう。
つまり、長期的目線で目的から逆算した学びではなく、短期的目線での好奇心に任せた勉強を大事にしよう、ということです。
「知」の創造は予定調和しない
その理由として著者が挙げているのが、「「知」の創造は予定調和しない」という点です。
例えば、飛行機の発明家として有名なライト兄弟は、戦争の抑止のため偵察手段としての、飛行機の発明にまい進しました。
残念なことに、それは第二次世界大戦における空襲や原爆投下に繋がることになります。
しかしその後、航空機産業は人や物資の運搬という役割で、全世界へ多大な貢献をもたらしました。
ここで重要なのは、ライト兄弟はそのような未来を思い描いていたわけではない、ということです。
もし彼らが、最初から人の移動手段や物流という目的であれば、別の物が発明されていた可能性も大いにあり得るのです。
アウトプット量=インプット量
そして、目的なきインプットを推奨するもう1つの理由が、「アウトプットとインプットの量は長期的には一致する」ということです。
「勉強は必要になったときに、インプットするのが効率が良い」という考え方もあります。
しかしその考え方には1つ問題があります。
それは、アウトプットが必要になる時期は、しばしばインプットする時間がないことです。
アウトプットが求められる時期とは、周りから必要とされる時期です。
ひっきりなしに求められる状況おいて、インプットに時間をかける余裕はない。
だからこそ、「ひらすらインプットした時期がないと、その後長期的にアウトプットし続けられない」と著者は言います。
アウトプットを求められない時期にこそ、「大量かつ無節操なインプット」をしておくべきなのです。
「学生時代は勉強しておけ」の意味
この話を読みながら私は、「学生時代は勉強しておけ」という言葉を思い出しました。
学生であるということは、社会における成果や責任を求められない、ということを意味します。
特に、大学生ほど興味の赴くままにインプットできる時期はありません。
しかし、学生時代に勉強することの重要性を説かれても、多くの学生は耳を貸しません。
私自身、勉強できる環境にいたにも関わらず、恥ずかしながらあまり勉強していませんでした。
当時は「社会人になったら遊べなくなる」の方が、よっぽど深刻な問題だと思っていたからです。
しかし、社会人になって思うのは「意外と遊べる」ということです。
お金で時間を買えるようになるからです。
しかし、「大量かつ無節操なインプット」は、社会人になると本当に難しくなります。
今すぐに使える知識かどうか、仕事に役に立つかどうか、などが頭によぎり、無意識に学ぶことの範囲を狭めてしまうからです。
しかし、多くの人が社会人にならないと気づけない、、
ですから、学生に勉強の重要性を伝えたいのであれば、「学生時代は勉強しておけ」では不十分です。
「無目的な勉強すること」の重要性から語らなければいけないわけですね。
終わりに
今回は、『独学の技法』における、教養と無目的な勉強の価値について紹介しました。
ただし、もちろん本書は教養を単に礼賛する本ではありません。
昨今の教養ブームに思い切り乗っかって踊りまくっている人を観察すると、仕事ではなかなか成果が出せないコンプレックスを、教養をひけらかすことで埋め合わせているように思えるからです。
山口 周『知的戦闘力を高める 独学の技法』ダイヤモンド社
このように教養を鼻にかける人に対して、しっかりと釘を刺します。
これは誰もが気をつけるべきことです。
教養は習得自体が目的ではなく、あくまでも実践という評価軸に沿ってこそだと著者は言っています。
あくまでの武器としての「教養」であるいうことですね。
皆さんも「教養」という矛と盾を身につけるために、まずは本書を読んでみてはいかがでしょうか。