今回は、M.J.アドラー・C.V.ドーレン著『本を読む本』をご紹介します。
『本を読む本』って面白い名前ですよね。
ちなみに原書名は英語で”How to Read a Book”ということで、どちらかといえば「本を読む方法」です。
しかし『本を読む本』の方が、読書好きなら気になるような気がします。
そのあたりは、訳者の思惑なのでしょうか。
それはともかくとして、本書は数ある読書についての本の中でも、トップクラスにおすすめです。
『本を読む本』はどんな本?
著者のM.J.アドラーは、アメリカの哲学者・教育者です。
本書は、具体例として哲学の話題が多いなとは思いましたが、哲学者だからというわけです。(あくまで例としてなので、本書の理解に哲学の知識は必要ありません。)
本書を一言で表すとすると、「本のインプットを突き詰めた本」です。
読書法の本といえば、本の選び方や読んだ知識を定着させる方法などが紹介されることが多いのですが、この本に限っては、「読む」に一点特化した内容といっても過言ではありません。
ここまでインプットを掘り下げた本はなかなかないため、まだ読んでいない方は一読の価値ありです。
本を読むことは積極的な行為である
読むという行為は、書くこと・話すことに比べると、非常に受け身だと思われがちですが、そうではないというのが著者の主張です。
ここで野球のキャッチャーの例えが出てきます。
キャッチャーはただ来た球を取るだけの受け身の行為に思えますが、実はそうではありません。
ストレート・スライダー・フォークなど、あらゆる球を巧みに捕らえる技術が必要なのです。
私は、キャッチボールしかやったことはありませんが、上手く捕れないととにかく痛いです…
もちろん、読書に痛みはありません。
しかし、あらゆる種類の情報を巧みに捕らえる技術が求められる、非常に積極的な行為なのです。
それでは積極的に読むには、一体どうすれば良いのでしょうか?
読むことの目的
早速読む方法に入りたいところですが、その前のもう1つ押さえておくべきことが、読むことの目的です。
なぜなら、目的に応じて方法は異なるからです。
本書では以下のように目的が分かれるといわれています。
知識のための読書・・・情報収集のために行うもの(新聞、雑誌等)
理解のための読書・・・浅い理解から深い理解へ読み手を引き上げる
1つ目は、新聞、雑誌が挙げられていますが、現代であればインターネットへその主流が移りつつあるのは間違いないでしょう。
そして、2つ目はピンとこない方も多いかもしれませんが、多くの書籍は2つ目の目的で世に出されています。
例えば、「○○入門」という本を読むことを想像してみましょう。
その時、「著者は○○についてよく理解していて、読者は○○を理解していない」という構図は想像に難くないでしょう。
つまり、理解のための読書とは、理解が浅い読者が、理解が深い著者に本を通じて教えてもらうことで、読者のレベルアップを図るものです。
そして本書は、理解のための読書に役立つ方法を、余すところなく紹介されているのです。
読書のレベル4段階
- 初級読書
「その文は何を述べているか」が分かる。義務教育レベルでの読解力。 - 点検読書
与えられた時間に出来るだけ内容を把握する ≒ 拾い読み・下読み - 分析読書
本を理解・解釈・批評する - シントピカル読書
同一の主題について2冊以上の本を読む
1.初級読書は、ある程度本を読んだことがある人であれば、問題なく身についているレベル。
逆に、4つ目のシントピカル読書は、論文執筆や研究を行う立場ではない、一般読者に求められることは稀です。
そのため、今回は 2.点検読書 と 3.分析読書 についてご紹介します。
点検読書はいわゆる速読
点検読書は、いわゆる速読に近いものです。
- 表題や序文を見る
- 目次を調べる
- 索引を調べる
- カバーに書いてある文句を読む
- 本の議論のかなめの章を見る
- ところどころ拾い読みをする
これらの方法を使って、数分から長くても1時間で、
全体として何に関する本か
何がどのように詳しく述べられているか
の2点を把握するために行います。
次のステップの分析読書はとても時間がかかります。
しかし、この作業で自分が知りたいことが書いてあるかどうかが分かるため、分析読書をする必要がない本も見分けることができるのです。
つまり、点検読書は分析読書へ進む前の1次選考みたいなものですね。
「自分が就活の面接官だったら、1次選考で学生のどんな情報を知りたいか」
そんな視点から、点検読書を試してみても面白いかもしれません。
目次について
少し本筋から外れますが、ここで目次について著者が苦言を呈しているのが印象的です。
昔は、本に詳細をきわめた目次をつける習慣があった。各章や各部を分けて、そこで扱う項目を列挙していた。
こういう習慣がすたれた理由は、一つに、読者が目次を読みたがらなくなったからである。他方、出版社も洗いざらい並べたてるよりは、ほのめかすような目次の方が読者を惹きつけると考えるようになった。
M.J.アドラー / C.V.ドーレン『本を読む本』より 抜粋
元々は、「読者に分かりやすい目次にしよう」だったのが、「どうせみんな読まないからとにかく興味を惹く目次にしよう」になってしまったということです。
学生さんからの履歴書が、中身のないほのめかす文言だらけだと嫌ですよね…(その方が珍しいから興味は惹かれるかもしれませんが)
私もいつも気がはやり、目次をすっ飛ばしてしまうタイプだったため、目次を読まない気持ちは分かります。
しかし、ここを読んでからは、最初に目次をじっくり読むようになりました。
分析読書は本を理解・解釈・批評するための精読
ここからは遂に、本書の肝である分析読書です。
分析読書は3つの段階、さらに1段階4つずつの規則としてまとめられています。
第一段階:本の構成のアウトラインをつかむ
①本を分類する
ノンフィクションか教養書か、理論的な本か実践的な本か? など本の分類をしていきます。
理論的な本とは事実について述べる本で、実践的な本は方法について述べられている本です。
もっとざっくりと、前者は「○○はこうある/こうなっている」、後者は「○○はこうすれば良いんじゃないか」が書かれている本といえるでしょうか。
哲学や歴史などは事実を述べる理論的な本、工学・医学・政治学・倫理学などは知識を実用化する方法について述べる実践的な本が多いです。
しかし、学問ジャンルだけ自動的に仕分け出来ないため、その点は注意が必要です。
②本全体の統一を数行の文にする
要するに本を内容を数行に要約することです。
そのためには、本全体の中心を成す背骨を見つける必要があります。
ここは1つの規則として分けて書かれていますが、個人的には③と一緒に行うべき作業です。
③主な部分がどのように配列され全体を構成しているか明らかにする
当たり前ですが、本には章がありますよね。
ここではその各章の部分部分が主題に対して、どのような順序で、どのように関わっているのかを明らかにしていきます。
例えば、『本を読む本』であれば、以下のようにまとめてみました。
こうしてみると、本書の背骨は、「第一部 ー 第二部 ー 第四部」の「積極的読書へ至るまでの道」であり、逆に「第三部 文学の読み方」はその外側にあると捉えなおすことができます。
このようにそれぞれの部分を並列で理解しつつ、全体の統一を見出すことで、根幹と枝葉を自然と分けることができるのです。
④その本が答えようとしている問題は何か
第一段階は、この④に到達するための道のりです。
①②③までを総合して考える必要があります。
『本を読む本』は実践的な本、つまり「こうすれば良いんじゃないか」が書かれている本です。
そして背骨は、「積極的読書へ至るまでの道」だったことを踏まえると、この本は「成長するために積極的読書身につける方法」へ答えようとしている、という感じでしょうか。
第二段階:本を解釈する
ようやく第一段階が終わり、第二段階は「その本は答えようとしていた問題にどのような解決を与えたか」が主題になります。
⑤読者と著者が折り合いをつける
このステップは、簡単にいえば「著者と読書が言葉に意味について、共通の了解を持ちましょう」ということです。
同じ言葉でも、著者と読者が同じ意味をとらえていないと、共通の思想を共有することは出来ません。
もちろん、全ての言葉をつぶさに検討する必要はありません。
重要そうなキーワードを探す中で意識していく必要があります。
著者の命題や判断を探す
言葉の次は、文、そして命題を理解することです。
例えば、『本を読む本』の冒頭に出てくる次の命題があります。
「読む」という行為には、いついかなる場合でも、ある程度、積極性が必要である。
M.J.アドラー / C.V.ドーレン『本を読む本』より 抜粋
この命題を見て「そうなんだ~」と思うのではなく、「なぜそう思ったんですか?」と問いただす必要があります。
日常会話でそうしたらただの面倒な人ですが、著者が目の前にいない読書なら大丈夫です。
基本的には、その近くにその命題を立てる理由が書かれています。
その理由を理解した上で、初めて各命題を理解したことになります。
論証を見つける
さらに、本の内容を掴むためには、もっと大きい単位で、つまり論証を見つける必要があります。
論証とは、より上位の命題を、妥当な1つ1つの命題から推論することです。
論証を見つけるを、もっとざっくりした言い方をすれば、「○○と△△と□□ということが言えるので、××はこうです。」という一連の流れを、本の中に見つけることです。
見つからない場合は自分で組み立てましょうとのことですが、なかなか難しい上、親切な本は結構まとめてくれています。
まずは、重要そうな論証が入っているパラグラフを見つけていきましょう。
著者の解決が何であるかを検討する
これは第一段階の4番目の規則「その本が答えようとしている問題は何か」に対応するプロセスです。
ここは重要な部分のため、引用します。
著者が解決しようとした問題のうち、解決できたのはどの問題か、それらの問題を解決する途中で、あらたな問題にぶつからなかったか、著者が解決できなかったと認めているのはどの部分か。
M.J.アドラー / C.V.ドーレン『本を読む本』より 抜粋
これまで、言葉⇒命題⇒論証の理解に努めてきました。
第二段階の仕上げとして、①解決できたこと、②新たな問題、③解決できなかったことを見つけていきます。
無意識に読んでいると、解決できたことに注目しがちです。
しかし、「あれこの著者、ここで言ってたこと解決してないじゃん!」を見つけるのも積極性読書なんですね。
ここまで出来たらもう十分に本を理解したことになるでしょう。
第三段階:本を批評する
1.「賛成」「反対」「判断保留」のいずれか立場を明らかにする
2.けんか腰は良くない。反論は筋道をたてて行う
3.反論は解消できるものと考える
4.著者に賛成するか、反論するか
第三段階で、遂に本を批評するプロセスに入ります。
ようやくここまできた…という感じでしょうか。
第三段階は、批評の心構えを説く部分が多いため、まとめて紹介します。
②と③なんて、当たり前のことを言っているように見えますが、個人的には一番の気づきでした。
私自身、批評=批判しないといけない、という意識が少なからずありましたが、考えてみれば本を批判するために読んでいるわけではありません。
純粋に知りたいこと、難しいことを理解するために、読んでいるわけです。
ですから、批評とはより深い理解へ達するための手段ということです。
「もっとも優れた批評家こそ、もっとも良き読者」である。良き読者は、読み終えて、本に語り返し、自分自身の判断を下そうとする。
M.J.アドラー / C.V.ドーレン『本を読む本』より 抜粋
著者へ反論する方法
それを踏まえた上で、著者に筋道を立てて反論するためには、どうすれば良いのでしょうか?
次の4つが紹介されています。
1.知識が不足している
2.知識に誤りがある
3.論理性に欠け、論証に説得力がない。
4.分析が不完全である
1~3は、「著者の主張の妥当性」を突き崩す反論です。
1と2は、「あなたの主張の前提が足りていないですよ」「前提が間違っていますよ」
3は、「前提から主張への繋がりが論理的ではないですよ」という指摘です。
基本的には、このどれかが見つからない場合は、反論してはいけないとのことですが、例外が4つ目です。
4の反論は、その本自体の批評というよりも、最初に提示した問題を解決していない著者の業績の限界を指摘するものです。
よって、できるのはすでにその分野をよく知っているとてもレベルの高い読者です。
ですから、原則は最初の3つさえ押さえていれば、批評と呼べる批評が出来るようになります。
SNSや討論番組のやり取りが、「批評や反論ではなくただの喧嘩」と揶揄されることもありますが、果たして私たちはどれほど、筋道を立てて反論出来ているでしょうか。
『本を読む本』は、そういった読書のとどまらない気付きを与えてくれます。
終わりに
私がこの本を読んだ最初の感想は、「本を読むためにこんなことまでやってられるか!」というのが素直なところでした。
たしかに実践することで、本をより理解し読書を楽しいものに出来ると思いましたが、それ以上に作業感が強く苦痛の方が上回りそうな気がしたからです。
しかし同時に、優れた読書家はおそらくこれらのことを1つずつ意識したり、ノートに書いたりせずとも、当然のようにやっているのだろうということに気づきました。
そして同時に、自転車の補助輪を外して練習し始めた、幼稚園児の私を思い出します。
運動神経が決して良くなかった私は、「ペダルを前にこぐ」「ハンドルを切る」「怖くても足をつかない」など、それぞれ1つずつ意識して自然とするなんてとんでもないことだと思っていました。
そんな私も、今では自転車で1日数十キロも走ることもあるほど、サイクリングが趣味になっています。
ですから、良くも悪くも「やっていればできる」と楽観的に考えるようにしました。
最初から根詰めて読むよりも、そういった軽い気持ちでまずは『本を読む本』を読んでみましょう。